天慶の乱に平将門の征伐のため東国に下った小野好古の臣小野俊明は、日頃恋い慕う「あわび姫」の色香に迷い、出陣の機を失いました。それから女に迷う罪悪を悟って出家して、名を熱退(又は祢津太江)と改め、尻高竜海山泉照寺の住職となりました。
天慶7年(944年)の8月、あわび姫は一子小太郎を伴い、熱退を訪ねてはるばる慕ってきたのに、熱退はどうしても逢いませんでした。そしてあわび姫に一首の歌を送ったのです。
『美しき花に一足踏み迷い 出家の道にかがやきにけり』
あわび姫は身を悲しんで、一子小太郎と共に河水に身を沈めた際に、一首の歌を遺しました。
『半形となるもあわびの片思ひ 未来は深く添ふが森せん』
村の人はその母子を哀れんで亡き骨を葬り、これを「鳥見塚」といいました。この塚に恋の願いを掛けると必ず叶うと言うので「添うが森」と呼ぶようになりました。
熱退和尚は病気となって「吾れ死なば鳥見塚の向かいの地に埋めよ」と遺言し、一首の歌を遺して亡くなりました。
『身を思へば世に名をよごす人々の 迷ひの花も散らしけるらん』
村の人々は遺言に従ってこれを葬り、「熱退の塚」と名づけました。熱退の亡霊が悪縁切れない人の夢枕に立って、「吾れを信ずれば必ず縁を切らせるであろう」と云ったので、この塚を「添わずが森」と呼びました。
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